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7.252025
雑記:オジーオズボーンの死去にふれて

目次
2025年7月22日オジーオズボーン死亡のニュース
最初に断っておくが、この記事は何の役にも立たない。
私の思いをつづっただけの記事だ。
最近は雑記ブログは控えていたが、今回の件はどうしても書き留めておきたくて書くことにした。
メタル界の帝王、オジーオズボーンが亡くなったニュースを23日早朝に知った。
オジーを知らなくても、NHKですらニュースで取り上げていたので目にした人もいるだろう。
私は非常にショックを受けた。
それはオジーの大ファンだからだ。
7月5日の「Back to the Beginning」の配信も課金して視聴したばかり。
このライブに向けて、パーキンソン病を公表していたオジーは過酷なリハビリを行ってきたと聞いた。
ライブ配信の映像を見ても、その目的を達したこともあって、正直「先は長くないのかな」と感じたりもした。
にしてもそれから3週間足らずで逝ってしまうとは、誰も想像しなかったに違いない。
亡くなる3週間前に大きなステージに立ち、収益の約280億円すべてを病院や財団に寄付。
そしてランディローズへ会いに旅立った。
なんてかっこいい去り方だろうか。
だから生きているときから伝説なんだ。
オジーの音楽との出会い
私が中学生のころ。
まだこの頃はBOΦWYや氷室京介が好きでよく聴いていた。
特に氷室京介は顔がかっこいいし、好きだった。
洋楽なんてまだ聴いていなかった。
そんなころ。
同級生に「不良」という部類に入るだろう男の子たちがいた。
どちらかというと、不良っぽい人たちとは交わることのないスペースで私は生きていたと思う。
週4とかで塾に通って、勉強ざんまいの毎日。
ピアノを弾くことが好きで、全校集会のときは校歌の伴奏をすることがあった。
その伴奏することで、不良グループに目をつけられたのだ。
その不良グループはバンドを組んでいて、オジーをはじめ洋楽をカバーしていた。
そのキーボードとしてメンバーに入ってくれないか、と誘われることに。
リトマス紙の色が変わるような、そんな化学反応的な組み合わせだったと思う。
で、渡されたのがオジーのCDだったのだ。
初めて聴くヘヴィメタル。
ランディローズが弾く「Crazy Train」のギターソロに魅せられた。
こんな音楽が存在するなんて!!
邦楽にはない、洋楽の持つスケール感。
一気にオジーにはまっていくことになる。
その不良グループと少しの間、いっしょにバンドをやることになった。
その後、進学した高校は別々になったが、オジーのライブに大阪城ホールまで一緒に観に行ったりもした。
ここからオジーの音楽を聴く人生が始まった。
でも、なにがかっこいいのかわからない
音楽をやっている人なら必ずと言っていいほど、オジーやブラックサバスは知っているだろう。
夫はドラマーであるので、もちろんオジーは知っている。
共通の話題としてよく話をする。
メタル界の帝王、と言われるほどの人。
じゃあ、かっこいいのかと言われれば顔は全くかっこよくない。
髪が長く、下手すりゃ「おばさん」に見えなくもない。
じゃあライブをする姿がかっこいいのか、と言われるとそれも疑問である。
オジーのライブパフォーマンスは、ヘッドバンキングやかえる跳びが有名。
ステージングは少し猫背で、うろうろーうろうろーとしながら歌う。
よく上半身裸になっている映像を目にするが、筋肉質とはほど遠くたるみまくっている。
どちらかというと不健康そうでかっこ悪い。
声も決して好みではない。
でも耳に残る。
印象に残る。
唯一無二の声質なのではないだろうか。
もちろん誰一人として同じ声を持つ人はいないと思うが、オジーはあの声であの曲を歌うのがいいのだ。
そして作り出す曲が最高である。
10年以上も前の音楽は、時として恥ずかしさを含んだ古臭さを感じさせる。
でもオジーの曲は今でもかっこいいと感じる。
イントロから「かっこいいなー」とセンスを匂わせる。
比較的新しい曲も、やはりかっこいい。
「かっこいい」の一言に尽きる。
体の奥底から湧き出すような、なんとも言えないかっこよさがある。
ブラックな部分が存在を引き立たせる
前述したように、オジーのかっこよさは一部だけである。
トム・クルーズのように外見から何もかもがかっこいいというわけではない。
なのになぜ神格化していったのか。
それはダークヒーロー的な要素があったからだ。
コウモリやハトを食いちぎった有名なエピソード。
深刻なドラッグと酒の依存症でも苦しんだ。
アルバムのジャケットも「悪魔」「血」「ドクロ」「モンスター」を連想させるものが多い。
逆にすがすがしく明るいものは1枚もない。
美しすぎるものより暗い要素があったほうが、人の負の部分につけこみ引き込まれやすくなる。
あとは若くして亡くなったギタリストのランディローズ。
この悲劇もオジーというブランドを作り上げた、1つの大きな要素であったはずだ。
早くに亡くなることで伝説化しているアーティストは多い。
以上のできごとはオジー本人を少なからず苦しめたはずだが、今のオジーを作り上げた1つ1つのピースになっている。
自分だけが楽しめればいい
オジーの曲のかっこよさもブラックなパーソナリティも、人の心に直接訴えてくる。
私にとってはその度合いが半端なかっただけ。
それを多くの人に知ってもらいたいというわけではないし、別にオジーを聴いてもらいたいわけでもない。
ブログなんて誰もが読めるものにこんな記事を書いたのだけれど、これを多くの人に知ってもらいたいわけでもない。
自分だけが楽しめればいい。
私がオジーから感じるかっこよさは、私だけのものだから。
他の人が感じるオジーのかっこよさは、私にはわからなくていいのだ。
なんでこんな記事を書いたか
最近、私のHPの自己紹介欄を見てお仕事を依頼してくださる方がいらっしゃる。
「こんなお仕事頼めますか?」と業務内容として載せていないご依頼だったりする。
顔写真と、趣味や経歴を見て何万もの報酬のお仕事を依頼してくださる。
だからこういった記事を書くことで「私」の人となりがさらにわかる一助となればいい、と思って書いたのだ。
「変な奴だな」と思ったら他の行政書士に依頼してくれればいい。
逆に私のパーソナリティに興味をもってくれるならぜひご依頼してほしい。
弁護士をはじめ、私たち士業ってかたっ苦しい存在だと思う。
身近ではない。
でもそれにより問い合わせのハードルが上がってしまうのはもったいない。
依頼者さんの不利益につながる。
だからもうちょっと気さくな存在として伝えられたら、と思ってこの記事を書いてみた。
そして私の中のオジーが旅立った悲しみが、少しでも整理できたらと思う。
R.I.P. Ozzy Osbourne.